概要
このたび、国立大学法人群馬大学(髙田 邦昭学長)・生体調節研究所(小島 至所長)・遺伝子情報分野の山下 孝之教授らの研究グループは、大阪大学、名古屋大学のグループとの共同研究により、がん細胞において、変異をおこしやすいDNA複製酵素(ポリメラーゼ)の働きが亢進する新たなメカニズムを発見しました。この発見は、がんの悪性化を抑制する治療法の開発に結びつくことが期待されます。
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がん悪性化のメカニズム:ゲノムを不安定にする新しい機序を発見
— 突然変異を起こしやすいDNA複製酵素をコントロールする —
がんは先進国の主要な死因であり、医学的に最大の問題のひとつです。がんを治療する上で最も厄介な特徴は、がん細胞が本来、自分自身の細胞から生じた分身でありながら遺伝子の変異を繰り返すことで絶えず性質を変化させ(これを「ゲノム不安定性」と言います)、その中で最も生存能力の強い変異体(ミュータント)が生き残ることです。つまり、がん細胞は、人体という生態系の中で自己保存のために「進化」し続け、悪性度を高めていきます(図1)。 たとえば、人体は免疫系などのがん抑制機構を備えますが、がん細胞は様々な遺伝子の変異によって、これらをかいくぐり、悪性度を高めてゆきます。抗がん剤による治療も、当初は効果がありながら、後に効かなくなることがしばしば見られます。これらの主な原因は、がん細胞のゲノム不安定性によって様々な変異体が生じ、環境に適応した細胞が選択され、増殖してくるからです。
今回、国立大学法人群馬大学(高田邦昭学長)・生体調節研究所(小島至所長)・遺伝子情報分野の山下孝之教授らの研究グループは、大阪大学、名古屋大学のグループとの共同研究により、がん細胞において、変異をおこしやすいDNA複製酵素(ポリメラーゼ)の働きが亢進する新たなメカニズムを発見しました。この発見は、がんの悪性化を抑制する治療法の開発に結びつくことが期待されます。
ところで、突然変異とは何でしょうか?DNAの二重らせん構造は有名ですが、これはA, C, G, Tの4種類の塩基が重合する鎖が対合して形成され(図2)、これら塩基配列が遺伝情報を担います。DNAが複製される時には、A-TあるいはC-Gのペアが保存されることにより、遺伝情報が保存されます。変異とは、この時に「誤った」塩基を取り込んで、DNAの持つ遺伝情報に変化が起こることです。
DNAを複製する酵素すなわちポリメラーゼは、通常は正確にDNAを複製する特性を持つものが働きます。一方で、すべての生物は「誤りを起こしやすいDNAポリメラーゼ」を多数持っていることがわかってきました。その代表的なものとして、Y-ファミリー・ポリメラーゼと呼ばれるグループが知られており、バクテリアからヒトにいたるまで広く保存されています(図3)。
では、このY-ファミリー・ポリメラーゼのような「誤りを起こしやすいDNAポリメラーゼ」は、いったいどのような機能を担っているのでしょうか?
DNAは紫外線などの環境因子や細胞代謝産物によって絶えず損傷を受けていますが、その大部分は修復されます。しかし、修復されずに残った一部のDNA損傷箇所では、通常の「正確な複製」に従事するDNAポリメラーゼが働きを停止してしまいます。これに対して、Y-ファミリー・ポリメラーゼは、損傷部分の複製、すなわち「損傷乗り越えDNA合成」を行うことができます。つまり、Y-ファミリー・ポリメラーゼは、間違いを起こしやすい分、融通の利く複製酵素であると言えます。
つまり、突然変異は偶発的な誤りとして発生するだけでなく、Y-ファミリー・ポリメラーゼによる能動的なプロセスと理解されるようになりました。たとえば、バクテリアを生存に不利な環境で生育させると、変異率が上昇し、結果として環境に適応したミュータントが生き残る「適応性変異」という現象が知られています。これには、Y-ファミリー・ポリメラーゼの発現が増加することが関与します。同様の現象は、がん細胞においても起こると考えられますが、がん細胞においてY-ファミリー・ポリメラーゼの働きが亢進するメカニズムは明らかではありませんでした。
私たちは、今回、Y-ファミリー・ポリメラーゼのうちの代表的なメンバーであるPol η(イータ)と呼ばれる酵素の働きを研究し、この作用をHsp90が促進することを見出しました(図4)。Hsp90は細胞の生存・増殖に重要な蛋白の働きを制御する分子で、特にがん細胞ではHsp90の働きが亢進することが知られています。したがって、がん細胞において、Hsp90によってPol ηが働きやすい状態になっていることが、突然変異の発生率を上昇させる一因になると考えられます。また、Hsp90阻害剤は新しいタイプの抗がん剤として開発されてきましたが、その薬理作用には未知の部分が多く残されています。今回の発見は、Hsp90阻害剤の使用が、がん細胞における突然変異の発生、すなわち悪性化を抑制する可能性を示します。