群馬大学・秋田大学連携グローバルCOEプログラム、生体調節シグナルの統合的研究


研究成果

2010年 01月 18日
がん悪性化のメカニズム:ゲノムを不安定にする新しい機序を発見




このたび、国立大学法人群馬大学(燗c 邦昭学長)・生体調節研究所(小島 至所長)・遺伝子情報分野の山下 孝之教授らの研究グループは、大阪大学、名古屋大学のグループとの共同研究により、がん細胞において、変異をおこしやすいDNA複製酵素(ポリメラーゼ)の働きが亢進する新たなメカニズムを発見しました。この発見は、がんの悪性化を抑制する治療法の開発に結びつくことが期待されます。
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がん悪性化のメカニズム:ゲノムを不安定にする新しい機序を発見

― 突然変異を起こしやすいDNA複製酵素をコントロールする ―
 がんは先進国の主要な死因であり、医学的に最大の問題のひとつです。がんを治療する上で最も厄介な特徴は、がん細胞が本来、自分自身の細胞から生じた分身でありながら遺伝子の変異を繰り返すことで絶えず性質を変化させ(これを「ゲノム不安定性」と言います)、その中で最も生存能力の強い変異体(ミュータント)が生き残ることです。つまり、がん細胞は、人体という生態系の中で自己保存のために「進化」し続け、悪性度を高めていきます(図1)。 たとえば、人体は免疫系などのがん抑制機構を備えますが、がん細胞は様々な遺伝子の変異によって、これらをかいくぐり、悪性度を高めてゆきます。抗がん剤による治療も、当初は効果がありながら、後に効かなくなることがしばしば見られます。これらの主な原因は、がん細胞のゲノム不安定性によって様々な変異体が生じ、環境に適応した細胞が選択され、増殖してくるからです。

 今回、国立大学法人群馬大学(高田邦昭学長)・生体調節研究所(小島至所長)・遺伝子情報分野の山下孝之教授らの研究グループは、大阪大学、名古屋大学のグループとの共同研究により、がん細胞において、変異をおこしやすいDNA複製酵素(ポリメラーゼ)の働きが亢進する新たなメカニズムを発見しました。この発見は、がんの悪性化を抑制する治療法の開発に結びつくことが期待されます。
 ところで、突然変異とは何でしょうか?DNAの二重らせん構造は有名ですが、これはA, C, G, Tの4種類の塩基が重合する鎖が対合して形成され(図2)、これら塩基配列が遺伝情報を担います。DNAが複製される時には、A-TあるいはC-Gのペアが保存されることにより、遺伝情報が保存されます。変異とは、この時に「誤った」塩基を取り込んで、DNAの持つ遺伝情報に変化が起こることです。
 DNAを複製する酵素すなわちポリメラーゼは、通常は正確にDNAを複製する特性を持つものが働きます。一方で、すべての生物は「誤りを起こしやすいDNAポリメラーゼ」を多数持っていることがわかってきました。その代表的なものとして、Y-ファミリー・ポリメラーゼと呼ばれるグループが知られており、バクテリアからヒトにいたるまで広く保存されています(図3)。 
 では、このY-ファミリー・ポリメラーゼのような「誤りを起こしやすいDNAポリメラーゼ」は、いったいどのような機能を担っているのでしょうか?

 DNAは紫外線などの環境因子や細胞代謝産物によって絶えず損傷を受けていますが、その大部分は修復されます。しかし、修復されずに残った一部のDNA損傷箇所では、通常の「正確な複製」に従事するDNAポリメラーゼが働きを停止してしまいます。これに対して、Y-ファミリー・ポリメラーゼは、損傷部分の複製、すなわち「損傷乗り越えDNA合成」を行うことができます。つまり、Y-ファミリー・ポリメラーゼは、間違いを起こしやすい分、融通の利く複製酵素であると言えます。

 つまり、突然変異は偶発的な誤りとして発生するだけでなく、Y-ファミリー・ポリメラーゼによる能動的なプロセスと理解されるようになりました。たとえば、バクテリアを生存に不利な環境で生育させると、変異率が上昇し、結果として環境に適応したミュータントが生き残る「適応性変異」という現象が知られています。これには、Y-ファミリー・ポリメラーゼの発現が増加することが関与します。同様の現象は、がん細胞においても起こると考えられますが、がん細胞においてY-ファミリー・ポリメラーゼの働きが亢進するメカニズムは明らかではありませんでした。

 私たちは、今回、Y-ファミリー・ポリメラーゼのうちの代表的なメンバーであるPol η(イータ)と呼ばれる酵素の働きを研究し、この作用をHsp90が促進することを見出しました(図4)。Hsp90は細胞の生存・増殖に重要な蛋白の働きを制御する分子で、特にがん細胞ではHsp90の働きが亢進することが知られています。したがって、がん細胞において、Hsp90によってPol ηが働きやすい状態になっていることが、突然変異の発生率を上昇させる一因になると考えられます。また、Hsp90阻害剤は新しいタイプの抗がん剤として開発されてきましたが、その薬理作用には未知の部分が多く残されています。今回の発見は、Hsp90阻害剤の使用が、がん細胞における突然変異の発生、すなわち悪性化を抑制する可能性を示します。
本研究結果は米国の学術専門誌 Molecular Cell(電子版)(米国東部時間2010年1月14日)に掲載されました。
 

1.研究の背景
 ゲノムDNAは種々の環境要因や細胞代謝産物によって、常に損傷を受けています。細胞にはこれらを修復する様々なメカニズムを備えていますが、残った損傷箇所では、DNA複製ポリメラーゼが停止し、Y-ファミリー・ポリメラーゼを代表とする特別なDNAポリメラーゼに替わって「損傷乗り越えDNA合成」を行います。ヒトはPol η(イータ)をはじめとする4種類のY-ファミリー・ポリメラーゼを持っていますが、Pol ηの欠損は紫外線過敏症や皮膚がんの発症を特徴とする色素性乾皮症の原因となるため、最も詳しく研究されています。Pol ηも複製時に誤りを起しやすいのですが、紫外線によって生ずるDNA損傷部位については「正確」な損傷乗り越えDNA合成を行うという特徴を持っています。このため、Pol ηの働きが低下すると、他のY-ファミリー・ポリメラーゼが働いて変異率が増加し、皮膚がんの発生が増加すると考えられています。

 DNA損傷部位において、DNAポリメラーゼからY-ファミリー・ポリメラーゼにスイッチする分子機構については、数年前に重要な発見がなされました(図5)。すなわち、損傷部位でDNA複製ポリメラーゼが停止すると、DNAを取り囲む環状蛋白で、ポリメラーゼと共に複製装置を構成するPCNAがユビキチン化を受けます。Y-ファミリー・ポリメラーゼには、PCNAとユビキチンに結合性を持っており、このためユビキチン化PCNAに強く結合し、損傷部位の複製を行います。
 多くの蛋白質は、分子シャペロンと呼ばれる蛋白群の助けを借りて機能的な高次構造を取ります。Hsp90は分子シャペロンとして、特に細胞の生存・増殖に重要な役割を果たす種々の蛋白の構造を制御し、また、がん細胞で働きが亢進していることから、抗がん剤の標的分子として注目されています。従来の抗がん剤はDNA損傷を起こす薬剤が主体ですが、これらの作用をHsp90阻害剤が強めることから、Hsp90がDNA損傷応答に関与する蛋白を制御する可能性が考えられます。そこで、私たちはHsp90がY-ファミリー・ポリメラーゼを制御する可能性を検討することにしました。

2.研究手法と成果

 まず、培養がん細胞において、私たちはHsp90とPol ηが結合していることを確認しました。次に、Pol ηの細胞内動態を可視化するために、蛍光蛋白GFPで標識したPol ηを2種類のがん細胞(293T, HeLa細胞)に発現させました。この細胞に紫外線を照射すると、いずれにおいても、PCNAとともにGFP-Pol ηがDNA損傷部位に点状に集積するのが観察されます(図6)この時に、Hsp90阻害剤である17-AAGで処理すると、いずれの細胞においても、PCNAの集積は影響を受けませんでしたが、GFP-Pol ηの集積は抑制されました。そこで、私たちはGFP-Pol ηだけでなく、内因性のPol η蛋白について、これらのメカニズムを解析しました。その結果、HeLa細胞においてはPol η蛋白が分解され発現量が低下させることを見出しました。これは、Hsp90に制御を受ける蛋白の特徴のひとつです。一方、293T細胞ではHsp90阻害による分解は軽度であり、Pol ηのPCNAやユビキチンへの結合性が低下することが判明しました。さらに、Hsp90阻害剤は紫外線による殺細胞効果を高めるばかりでなく、紫外線による変異発生率を上昇させました。一方、もともとPol ηの発現を抑制した細胞では、Hsp90阻害剤のこのような効果がほとんど見られませんでした。これらの結果は、紫外線によるDNA損傷部位のPol ηによる「正確な損傷乗り越えDNA合成」をHsp90阻害剤が抑制することを示します。以上の結果から、Pol ηのDNA損傷部位への動員には、PCNAのユビキチン化だけでなく、Hsp90によるPol ηの安定性や構造の制御が重要な役割を果たすことが明らかになりました(図7)。

3. 今後の展望

 私たちの研究から、がん細胞において突然変異の発生が亢進するメカニズムの一端が明らかになりました。しかも、このメカニズムに関与するHsp90は抗がん剤の標的分子として注目を受け、次々と新しい阻害剤が薬剤として開発されています。これらの薬剤を上手く使用することで、がん細胞の突然変異を制御し、悪性化を抑制する新しい治療の開発につながることが期待されます。

連絡先
群馬大学生体調節研究所 遺伝子情報分野 山下孝之
電話:027-220-8830 FAX:027-220-8834